自己紹介-富士通時代6.退職-

富士通に導入された「目標管理制度」による「成果主義」には、僕はなじめませんでした。

僕は「販売推進部」という間接部門にいたのですが、たいてい、第一目標は、「受注○○○億円、売上○○○億円」みたいな感じでした。

営業職ではなく、販売推進部という間接部門ですから、自分でお客さんをまわり、売って歩くのが職務ではありません。

確かに、デモにせよカタログ作成にせよ何にせよ、全ては「売るため」にやることですから、受注・売上が最終目標であり、それで管理されるというのもわからないではありませんでした。

しかし、所詮は間接部門ですから、直接営業活動を行う訳ではありません。

もちろん、「売る」ため、営業支援の一環として、担当営業さんに同行して、顧客先まで出向き、システムの説明を行うといった、拡販支援は行っていましたが、自分が直接売る訳ではないため、どこか他人事のような感覚がありました。

また、売上というものには、個人の努力を超えた運・不運がつきまといます。

例えば、リーマンショックのような出来事があった時に、売上を個人の力で、どうにかできるものでしょうか?

僕の在籍していた販売推進部というところは、間接部門ゆえにどこか他力本願のようなところがあり、その結果で、給与やボーナスや昇進が決まるというのは、どうも合点がいかないというのが、当時の僕の感じ方でした。

そして、そういうふうに管理された会社での仕事には、徐々に情熱は無くなっていき、第ニの人生を夢みるようになりました。

その頃から、僕は第二の人生に備え、猛烈な勢いで貯蓄を始めました。

毎月、最低でも10万円以上、ボーナス時には、50万円~100万円以上を貯蓄にまわしました。

そして、ある程度、お金が貯まり、退職金もある程度は貰える目処がたった時に、僕は富士通退職しました。
その時点では、まだ、次に何を職業にして生計を立てて行くのか、決めていませんでした。

投資が好きだった僕は、資産運用で食っていくことも考えましたが、その考えが甘いということは、2008年のリーマンショックという相場暴落で思い知らされました。

また、アパートを一棟丸ごと買って、賃貸経営で食っていくことも考えましたが、信頼できる不動産屋さんに相談したところ、「やめた方がいい」と言われ、断念しました。

その不動産屋さんが言うには、「ネット上に売りに出ている物件なんて、儲からないに決まっているじゃないか。儲かるんだったら、そもそも他人に売り渡してしまうなんてことはないでしょ。」と言われ、それもそうだと思ったのでした。
まぁ、退職して、しばらくの間は雇用保険も貰えることだし、ゆっくり考えようと思っていました。

なので、退職して1年ほどは、中学時代からの友人と温泉めぐりをしたりして、のんびりとした日々を過ごしました。

ちなみに、結局、僕は、後に現職である、(心理)カウンセラーとなるのですが、この時点では、まだ、そんなことは全く考えていませんでした。

-次回に続く-


tag : 富士通 退職

自己紹介-富士通時代6.終わりの始まり-

今振り返ると、世がITバブルにわき、インターネットが急速に普及していった西暦2000年頃、富士通も、その絶頂期にあったのではないかと僕には思えます。

企業の株価は、世間がその企業にどれくらい期待しているかという期待値を映す鏡でもありますが、当時の富士通の株価は最高5,000円でありました。

これが、どれくらい凄いことかと言うと、富士通株の最低売買単位は1000株でしたから、富士通の株を買いたいと思ったら、最低でも、@5,000円×1000株=5,000,000円が必要だったのです。

一部のお金持ちや機関投資家でなければ手が出せないような高額な株でありました。

ちなみに、今の富士通の株価は7,000円くらいですが、最低売買単位は100株ですので、70万円あれば売買可能です。

どれだけ、当時期待値が大きかったかがわかろうかというものです。

しかし、それも長くは続きませんでした。

インターネットの将来性が否定された訳ではないのですが、ITバブルが崩壊し、世界的にIT不況となりました。

富士通も最大の試練の時期を迎えました。

富士通は2001年と2002年に合計5000億円もの大赤字を出すことになったのです。

瀕死の状態であったと言ってもよいでしょう。

そして2万人に及ぶ大リストラが行われました。
社員の10人に一人が首を切られました。
ただ、首切りの対象は、海外関連会社の方が多く、僕はリストラ対象にはなりませんでした。

それでも、会社の体質は大きく変わりました。

平成生れの方には、想像もつかないかもしれませんが、昭和の高度成長期の日本には「終身雇用」と「年功序列」というものがありました。

「終身雇用」とは、いったん会社に就職したら、よほどのことがない限り、首を切られるようなことはなく、定年まで安定した生活を送ることができるという雇用制度のことです。

「年功序列」とは、年をとるに従って、その能力とはあまり関係なく、誰でも昇進していくという制度のことです。もちろん昇進すれば給料も上がります。

さらに、この時代には「ベースアップ」というものがあり、そもそも給料の「ベース」が毎年上がって行きましたので、例え昇進しなくても、給料は上がる時代だったのです。
これらの制度に支えられ、日本は急速に経済成長を遂げました。

今では考えられないこれらの制度ですが、経済が右肩上がりに成長しており、会社が収益もその規模もどんどん大きく成長していた時代には、このような制度が維持可能なのでありました。

しかし、やがて日本の高度成長期も終わり、多くの会社で右肩上がりの成長は望めなくなってゆくようになります。

企業は「社内失業者」と呼ばれるような余剰人員を抱え、また事業規模の拡大もなくなったため、ポスト不足となり、誰でも年功序列で昇進できるような人事制度を維持することはできなくなったのです。
その中では、「終身雇用」は崩壊し、リストラという首切りが横行するようになりました。

もちろん年功序列もなくなり、優れた業績を残したもののみが出世する、当たり前といえば当たり前の「能力主義」の社会へと変わっていきました。

富士通もいつの頃からか変貌してゆきました。

年功序列は影をひそめ、能力主義に変わっていきました。

残業に対する考え方も変わりました。

残業になってしまうのは、仕事がのろいからであり、能力があり、効率的に作業を進める優秀な社員は、残業は少ないのである。
そんな考え方に変わっていきました。

また、労働そのものに対する対価ではなく、労働の結果生れた「成果」に報いるという「成果主義」と「目標管理制度」が導入されるようになりました。

昔の「年功序列」の考え方は、経済が右肩上がりだったからこそ維持できていたのであり、経済的な成長が止まった日本においては、もはや破綻したのでありました。

僕は、リストラにこそ遭遇しませんでしたが、かといって「成果主義」と「目標管理制度」にはなじめませんでした。

だんだんと会社生活に息苦しさを感じるようになり、第二の人生を考えることが多くなってゆきました。

これが、僕の会社生活の「終わりの始まり」でありました。

-次回に続く-


tag : 富士通 自己紹介

自己紹介-富士通時代-2-

僕が富士通入社した年が、ATMのモデルチャンジの年だったことは前回書きました。

その頃の部長の方針で、その新ATMのデモを全国で行うことになりました。
僕はATM担当として、全国で、新ATMの実演デモ(実機を操作したり、機能の説明をしたりする)を行うこととなりました。
実演デモの仕事は、一度、操作と説明内容及び機能説明を覚えてしまえば、あとはどこへ行っても同じことの繰り返しですから、楽な仕事でした。

富士通の拠点は日本中にありますから、僕は実演デモ要員として、全国を飛び回る生活が始まりました。

北は北海道から南は沖縄まで、日本全国をまわりました。
この時行った都道府県は、北海道、青森、岩手、宮城、群馬、富山、大阪、名古屋、岐阜、広島、島根、高知、福岡、佐賀、熊本、長崎、宮崎などだったように記憶しています。

まだ「社内接待」などというものがまかり通っていた時代で、行く先々で、現地の営業さんの歓迎を受け、また新ATMのお客さんの評判も上々だったものでしたから、この時期、とても楽しかったです。

ある時、富山からの出張を終え、翌日、本社に出社したところ、先輩が、

「おい、富山はどうだった?」と聞いてきました。

僕が、「カニがメチャ美味しかったです!」と答えると

先輩が、「そうじゃねぇよ。お客の反応はどうだったんだよ?って聞いているんだよ!」なんてこともありました。

実演デモの出張が多く、「出張手当」をたくさん頂いたため、給料には、ほとんで手をつけずに生活できちゃった、なんて日々がしばらく続きました。
そんなこんなで、入社当初~10年目くらいまでは、仕事はハードだったものの、やりがいもあり、充実した会社員生活を送っていました。


プライベートでは、入社2年目の頃、小型船舶4級の免許を取得し、JET SKI(水上バイク)を購入しました。
週末には、江ノ島や横須賀あたりの海まで繰り出して、海を走りまわっていました。

そして、JET SKIを購入してから3年目に、JET SKIのレースに参戦するようになりました。

そして、このことが、結婚につながるのですが、そのことは、また次回。


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tag : 富士通 自己紹介

自己紹介-富士通時代1-

富士通に僕が入社した当時、その本社は、「丸ノ内の不夜城」と呼ばれていました。

業績が急激に伸びており、それに伴い、残業も多く、徹夜する社員も少なくなかったので、真夜中になっても灯かりが消えないことから、そう呼ばれるようになったのです。

その「丸ノ内の不夜城」の「業種端末機販売推進部」というところに僕は配属されました。

「業種端末機販売推進部」と聞いて、どういう機種を扱う部署だかわかる方は、ほとんどいないと思いますが、具体的には、ATMやPOSの販売促進を担当する部署でした。
ATM担当の第一推進課とPOS担当の第二推進課があり、僕は、第一推進課に配属されました。
富士通がATMの開発・販売を行っていたことは、一般には、あまり知られていないかと思いますが、ATMの世界では、当時(約30年前)富士通がトップシェアだったのです。
30年前の事とはいえ、一般には知られていないATMの価格をここで曝露してしまうと困る方も出てくるかと思いますので、詳細は書きませんが、当時のATMはかなり高価でした。1台で高級自動車が1台買えるくらいでした。

それが、銀行のオンライン化に伴い、飛ぶように売れていました。

当時は利益率も良く、「富士通の利益は南多摩(ATMの開発拠点)の利益」と呼ばれていた時代もあったのです。
売れているということは、それに伴う業務も多忙ということです。
ちなみに、僕が配属された「販売推進部」という部署では、カタログを作ったり、デモや展示会を行ったり、市場調査(市場価格やシェアなど)をしたり、販売価格の設定や値引き商談の決裁業務などを担当していました。
残業も多く、月60時間くらいの残業は普通でした。
近年は、残業が多い企業はブラック企業などと呼ばれ、白い目で見られますが、その頃は、そういう風潮はありませんでした。
むしろ、残業代が貰えるので、残業Welcomeという雰囲気さえありました。

当時の富士通では、例え、残業が100時間超えていようとも残業代が満額支給されていましたので、忙しい人は、残業代が本給を超えて給料2倍なんてことも珍しくありませんでした。
僕も130時間残業して、新人なのに30万円以上給料を貰ったこともありました。

当時、多忙ではありましたが、Excelもメールもない時代で、業務が今に比べると、著しく非効率的に行われていたのも、その一因でありました。

電卓を使って、手書きで表を作成したものの、縦合計と横合計が合わず、1時間も2時間もかけて計算し直しなんてことも珍しくなかったです。
今なら、Excelで10分で終わってしまう作業ですよね(笑)
僕が配属された年は、ちょうどATMのモデルチェンジの年(10年に一回)だったので、その年、僕は、色々と貴重な体験をしました。
少し長くなってきましたので、その辺の話は、また次回。


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プロフィール

「こころケア」カウンセラー平山靖高

Author:「こころケア」カウンセラー平山靖高
神奈川県川崎市中原区でカウンセラーをやってる平山靖高といいます。
1960年代の生れで、1980年代に早稲田大学を卒業後、富士通に就職。2014年に富士通を退職し、2年間バイトをしながら、カンセリングや心理学を学び、2016年7月にカウンセリングルーム「こころケア」を開業し、現在に至る。
離婚経験があり、現在は独身。ちなみに子供はいません。
詳しい自己紹介をブログ本文に載せているので、是非ご参照下さい。


ビール,音楽(最近のお気に入りは米津玄師のLemon),韓国旅行が好きです。

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